日本企業では「営業」「開発」「人事」「生産」などの部署名は漢字で書かれ、その任務や責任範囲は日本企業の中に自然に根づいています。
しかし、「マーケティング」や「ブランディング」はカタカナ表記のまま。まるで“外来の考え方”のように、どこか距離を置かれている印象がありませんか?(実際その哲学は欧米発祥なのですが)
私の勤務してきた会社でも、マーケティング部が組織図に存在していなかった時期が長く続き、営業部の中の「営業推進グループ」とか、「広告販促グループ」にとどまっていました。
「マーケティングは誰が担当なのか?」と尋ねると、先輩からは「全員でやっていくもの」と教えられたのを覚えています。けれど「誰が責任を持って全体戦略を描くのか」という問いには、はっきりとした答えが返ってこないのものです。
「営業や販促の延長」という認識が根強く、結果としてマーケティングは組織の隅っこに置かれたままの企業が多いのではないでしょうか?特に中小企業ではこの傾向が強いと言われています。
今回はこの曖昧な「マーケティング」について日本と欧米の考え方の違いに触れたいと思います。
なぜこの議論はいつも平行線なのか?製品ローンチ会議の現場から
私は初めて海外のマーケティングチームと仕事をしたときから、今に至るまで、ずっと同じような光景を見続けています。
新製品のローンチに向けた打ち合わせでは、日本の本社側の開発部門は「製品の機能はどうか?」「新しい技術がどう優れているか?」「競合と比較して何が優位点か?」といった話題に終始します。
一方、欧米のマーケティングチームは開発側の説明に耳を傾けつつも、必ず「ターゲットカスタマーは誰か?」という問いを投げかけます。すると、開発側は「誰にでも幅広く使ってもらえる」と返答し、そこから議論がかみ合わなくなっていくのです。

慣れない頃の会議では、私自身もマーケティングの本質についてはまだまだ勉強中の立場で、以前は開発側の「素晴らしい技術と最高の品質」という説明で十分だと思っていました。
そして議論が平行線のまま深まらないと、会議は必ず「そのマーケ施策でいくら売れるのか?」という開発部門の定番の質問に行き着きます。
すると、営業部門が「売上直結であるべき」と定番の加勢することで、売上責任を持つ「開発部門」と「営業部門」が一致団結する構図が生まれます。
マーケティングチームは、売上高だけで効果を語れないことを知っているからこそ、回答に窮してしまうのです。

こういった風景は私の周りだけでしょうか?みなさんの周りでも見ることはありませんか?
“マーケティング=売り込み”という誤解
大塚雅文氏は、MANABI Limited の 社長兼最高経営責任者として15年以上もグローバルリーダーシップとコミュニケーション術を説き、日米の教育やビジネスの現場で長年活躍している異文化コミュニケーションの専門家です。
大塚氏自身のLinkedInの記事「Why Japanese Hate Marketing」において、日本人がマーケティングに対して抱く独特の感情「日本人はマーケティングが好きではない」と詳述しています。
そしてこれは日本の文化的背景に根ざしていると指摘しています。
大塚氏によれば、日本では「努力して質の高い製品を作れば、人々は自然とそれに気づく」という信念が強く、製品の品質に焦点を当てる傾向があるという考え方が根底にあり、積極的なマーケティング活動は控えられる傾向にあるといいます。
このような文化的背景から、日本企業ではマーケティングが「押し売り」の様な印象を伴い、本来の価値創造や顧客との共感を築く重要性が十分に認識されていないと感じられるのです。
謙遜や遠慮を大事にする文化の中では、積極的な情報発信が“自慢”や“お節介”に映ることすらあります。
「良いものを作れば、自然と人々に認知される」という信念が根強く、だからこそマーケティングを気で考える土壌が育ちにくいのだと思います。

結局私の新製品ローンチ会議の経験と同じ状況。とても賛同できるコラムです。
“モノづくり至上主義”と職人気質の弊害
サンフランシスコを拠点とする日米間のブランディング・デザイン会社「Btrax」は、日本市場とグローバル市場の違いを文化的背景や組織構造の視点から発信しています。
同社のブログ記事「Why Japanese Companies Struggle with Marketing」では、大変勉強になります。ここでは、こう指摘されています。
「日本企業ではマーケティングが意思決定に関与しない」
Btraxは、この背景として前述の大塚氏同様、「日本の企業文化が“良いものを作れば売れる”という思い込みを持ち、製品開発が先に立つ」点を強調しています。
結果として、市場や顧客の声が製品づくりに十分に反映されず、さらにマーケティングは単なる販促の一部にとどまってしまう。
この順序の逆転は、「完成度がすべて」という職人気質とも深く結びついているのではないかと、私自身も感じています。
こうした状況は、現場で私が見てきた「マーケティングは誰が担うのか?」という問いに重なります。
職人気質の誇りが、結果として顧客の声や市場の変化への適応を後回しにしてしまうことがあるのではないか――そんな疑問を持ち続けています。
特に、過去にヒット商品を連発してきた開発主導の企業では、それらの経験・事実から「良いモノを作れば自然と売れる」という信念が深く根づいています。
それはまさに、日本企業が「努力」「品質」「謙虚さ」を美徳とする文化に根ざしているように感じます。
しかし、海外市場では、製品の価値をどう伝えきるかが同じくらい重要です。それをなかなか理解してもらえないのが、一番の苦労でした。
教育・人材育成の空白ゾーン:日本と米国のマーケティング教育の比較
さらに、日本におけるマーケティング教育の提供数は、米国と比較して大幅に少ないことが明らかになっています。この差は、教育制度や文化的背景に起因する可能性があります。
日本の状況
日本国内でマーケティング関連の学位プログラムを提供している大学は、以下の通りです。(出典:FreeApply)
- 学士課程:34大学
- 修士課程:20大学
- 博士課程:12大学
これらのプログラムは主に、早稲田大学、慶應義塾大学、一橋大学などの主要大学で提供されています。
米国の状況
米国では、マーケティング学位プログラムを提供する高等教育機関の数が非常に多く、以下のようなデータがあります。(出典:Niche)
- マーケティング学位を提供する大学:1,189校
このように、米国ではマーケティング教育が広く普及しており、多くの大学で専門的なプログラムが提供されています。
考察
上記のデータから、日本におけるマーケティング教育の提供数は、米国と比較して大幅に少ないことが明らかです。この差は、以下のような要因に起因していると考えられます。
- 教育制度の違い:日本の高等教育では、マーケティングを独立した学問分野として捉える傾向が弱く、経営学や商学の1セクションとして扱われることが多い。
- 文化的背景:前述の通り、日本では「良い製品を作れば売れる」という考え方が根強く、マーケティングの重要性が十分に認識されていない。
- 実務との連携不足:教育機関と企業との連携が弱く、実践的なマーケティング教育が行われにくい。
これらの要因が重なり、日本ではマーケティングを「経営の武器」として活用するための人材育成が十分に行われていない可能性があるのだと感じます。
もちろん、最近では日本でもYouTubeや各種のネットコミュニティー、またUdemyなどの通信教育などが充実してきており、今後はさらに改善していく環境になってきているとも言えるかもしれません。
まとめ:誰が“マーケティング”をするのか?
ここまで、日本企業におけるマーケティングの位置づけと、私自身が体験してきた現場での戸惑いや気づきを振り返ってきました。
「良いモノを作る」という信念は、日本の職人気質や「努力」「謙虚さ」を重んじる文化と深く結びついています。これ自体は素晴らしいことですし、それこそが戦後日本を成長させてきました。
しかし、「良いモノを作る」と「良いモノを作れば売れる」が混同してしまっているケースが問題と思います。そしてこれが『日本企業はマーケティングが苦手』を形成してしまっています。
グローバル市場では、「良いモノの価値を伝えきる力」が、「良いモノを作る」以上に重要であると思います。たとえどんなに良いモノを開発しても、誰からも必要とされなければ売れませんし、逆に必要な誰かへメッセージが伝わらなければ売れません。
また、欧米企業の多くは、CMO(Chief Marketing Officer)が経営中枢にいて、顧客視点から製品や体験の設計のAccountabilityを担います。
一方、日本企業では開発部門や営業部門が上流設計を担う構造が続き、マーケティングが「支援部門」にとどまりがちです。
企業としての「責任」のあり方も同時に見直していく必要が大きいでしょう。(ユニクロ、資生堂、任天堂などの大企業は、顧客視点を徹底し、商品企画から広告戦略まで一貫してマーケティングの思想を浸透させています。これによって世界中で同じブランド価値を共有し成長してきています。)
私自身、営業部隊から「そのマーケティング施策は明日の売上につながるの?」と問われ続けてきました。これに対する直接的な回答は「No」です。
一方で、「将来的な企業の成長につながるか?」に対する回答は明確に「Yes!」です。
マーケティングに責任を持つ人が旗を掲げ、その旗の下に全員を巻き込むことが、組織を変えていく力になるのではないか――そんなふうに思っています。
私にとって、マーケティングは“押し売り”ではなく、“価値と共感の翻訳”です。
「誰が旗を掲げるのか?」という問いに正面から向き合うことが、これからの日本企業の競争力を高める第一歩になると信じています。
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